ニーソ×持論×敬愛
以下、ニーソックス、オーバーニーソックス、サイハイソックスをニーソックス改めニーソに含意するものとする
【序説】
今回は画像を用いてよりポップに、そして何より熱量を持って、ありったけの愛を綴っていこう
私はこの上なくニーソが好きである、いや、敬愛している。
(厳密には、ニーソではなく、サイハイソックスだが…)
そして、僕がニートであることと、ニーソを愛していることに只ならぬ関係性があることは言うまでもない
よくニーソを知ることで、よくニーソを履くことができ、
初めて良き世界となる FuG *1
私は現実で ”ニーソが何たるか” をしばしば説くことがあった
しかし、ソノ行為が不埒であるというイメージが先行し距離を置かれ、人間失格の落胤を押すかの如き冷ややかな視線が私を串刺しにする
折角聞いて貰えても私の口下手が祟って、よくわからないと言われたからか、
この場を借りて、トコトン説明する必要性があると私の中の超自然的な何かに呵責された
【本論】;それらがニーソをニーソたらしめる
ニーソは”絶対領域”と”色のコントラスト”の2つの要素からなる
それらは例えるならば、日本固有の感覚、ハレとケ、侘び寂びのように双方が結びつき、作用しあい、ひとつの感覚たらしめるのである
したがってニーソとは双方の要素が結びついたときの感覚であり、決して物の名を示す名詞ではないのである
名詞としての解釈は、単なる布筒であるという解釈に等しく、ニーソへの冒涜に他ならない
1;”絶対領域”
スカート、ショートパンツなどのボトムスとニーソックス(サイハイソックス)を着用した際にできるボトムスとソックスの間の太ももの素肌が露出した部分を指す萌え用語。 スラングの一種。 萌え用語としての絶対領域の節を参照。 *2
皆様も一度は聞いたことがあるだろうこのワード、ハレとケのハレ、侘び寂びの侘び、双璧を成す要素の片方である
パンピー然り、ウィキペディア然り、絶対領域を名詞として捉える
しかし、そうではない
なぜならば、上記の通り、絶対領域とは感覚を形容する言葉であるからである
絶対領域も実は、2つの美的感覚により形成される
私と同じ感覚を持つものはニヤリと一つ笑みを溢し、
当たり前だと思っていることだろう
1、太ももの露出面積
これは理解が容易である
考えてほしい、なぜ下着にはエロスを感じ、水着には感じないのかを
スカートという、たかが布一枚を腰に巻くことで格段に跳ね上がるエロスを
ブラウスという、たかが布一枚を羽織ることで格段に跳ね上がるエロスを
ボトムスとニーソで極めて局所的に露出することにエロスを感じのはホモ・サピエンスの時代からの400万年間で培われた人間の性と言えよう
1’、各種ニーソとボトムスの組み合わせ
ニーソとオーバーニーソにはミニスカート
サイハイにはショートパンツと相場が決まっている
これらを組み合わせることで露出度を容易に黄金比へ設定することができる
2、くいこみ;ふくらみ である
サイハイソックスが最も好きである理由は、これに傾倒する
言うまでもなく、太ももは足の付根に近づくにしたがって、膨らみを増す
詰まる所、サイハイの締め付けによって太ももに食い込み、ふっくらと盛り上がるからである
ひと目で盛り上がりを確認することが容易なので、多くの男性はこの点を重視する
相反し、女性はこの点を気にし、ニーソを嫌厭する
これはとても嘆かわしいことである 彼女らのイメージを払拭することがニーソ人口を増やすための糸口と言えよう
2;”色のコントラスト”
極一部のニーソ好きは既にこの領域に達していることだろう
生地と生足の色味とのコントラストによっては、絶対領域をぶち壊しにすることに
純白の柔肌を武器にするなら、真っ黒ないし、黒の系統色の100デニール以上のゴムがきつめのを
褐色であれば、真っ白のを履くことによって、太ももの真価が発揮するといっても過言ではないだろう
重要なのは、太ももの色と生地との濃淡の差である
ピアノの鍵盤は当初、手の美しさを際だたせるため現在の黒鍵と白鍵の色が逆であった
黒髪、黒眉、白肌そしてお歯黒、色の濃淡に差をつけることにより、対象の色をより美しく見せる
これは現代も昔もそして、ニーソにも当て嵌まることだ
さあ、御託はこれくらいとして、いよいよ貴殿らが待ち望む実践的感覚を養って貰おう
一度、窓を開け空気を入れ替え、澄み切った心と身体で目を見開き、ご覧いただきたい
先ずは、悪例
何にもわかっちゃいない
どの画像も、 絶対領域 とグーグルで画像検索した時に上位に表示されるものだ
皆様も、ココまでニーソに関す知識を蓄えれば、憤りを覚えていることだろう
次にまとも例
正味、二重丸には届かないものの、及第点といったところだろうか
1−3枚;幅は良しだが太さがもうひと域、この場合はショートパンツを履きサイハイをより長いものにすると尚良
2枚め;肌の色が褐色のため、淡い色合いの生地にすると尚良
3枚目;デニール数値の高いものにすると尚良
4枚目;黒のボーダーが入ることで肌の色との濃淡を演出するのは良いが、サイハイにすると尚良
【さいごに】
ニーハイと検索すると、 ニーハイ 何歳まで というキーワードが上位にでてきます
一つ助言をするとすれば、40歳、30歳のアナタにニーハイが合うかではなく、
そもそも、ニーハイがアナタに合うのかどうかが問題なのです
一度目をソッと閉じて下さい
もう既に、ニーハイがアナタに合うための鍵は手のひらの中にあるはずです
ちなみに一番上の画像くらいの足の太さが筆者の好みです
尊敬と敬意を表し、引用致します。
Aboutニーソ協会について
撮影/林健太 日刊SPA!http://nikkan-spa.jp/609844東京カルチャーカルチャー『春のニーソ祭り!』日本ニーソックス協会とは
サブカルチャーを中心に広まり、今やファッションとしても人気の高いニーソ。
膝上の丈を持つその靴下を初めて目の当たりにした時、貴方はどう感じただろうか。 カワイイ、オシャレ、不思議...など様々な感想はあれど、何かが心に響かなかっただろうか?
あるいは女性であれば、初めてニーソを履いたときのことを思い出してみてほしい。
ファッション誌やテレビ、もしかするとアニメや漫画かもしれない、何かがあなたをその魅力に惹き込んだその瞬間を。 そして、初めてニーソを履いた日のちょっといつもと違う感覚を。
ニーソは、女の子がさらに可愛くなれる魔法である。
そして、人々を幸せにする魔法でもある。
ニーソ協会は、日本中、世界中をその魔法で満たすことを誓います。
会長あいさつ
2016.12.1
日本ニーソックス協会会長
佐藤 昌平
幸せに対する観念×夢×当ブログのタイトル
当タイトルの着想を得たのは数学の参考書です。
他の書とは一線を画す洗練されたデザイン、初見にして一目惚れし、ネットで書評を漁り買い揃えたのはちょうど一年前のことです。
閑話休題、其れだけが理由ではなく、確たる所以があります。
私の夢である富豪になること、に於いて重要な事を投映しているのが当タイトルになります。
齢19の人生観を綴らせて頂きます。
「お金だけが全てじゃない」”幸せ”が話題に上がると必ずお金の話に直結するでしょう。お金よりも大切なモノ、コトがあるというニュアンスで用いられることが、しばしばあります。
しかし、学歴にコンプレックスのある社会人が「勉強や学歴は役に立たない」と口をそろえて言うように、持たない能力を疎んでいる聞こえます。
私の中では、人生において最も重要な感覚の一つとして、自由であることが挙げられる。これは客観と主観に分別でる。そしてそれらは、このように互いに作用しあっています。
例えば、
1;世界一周したい(主観)→ 世界一周した(客観)
世界一周した(客観) → もう一度アメリカへ行きたい(主観’)
2;大きい会社で働きたい(主観)条件;偏差値の高い大学を卒業 →大きい会社へ就職した(客観)
良い所得を得た(客観)→マンションを運営しよう(主観);お金を費用とする様々なこと
主観→客観 この例示した2つの移ろいは今も昔も、お金を必要とします。そして、主観→客観を経なければ、客観→主観’へと移ろうことはありません。
そして現代、それらを媒介とする矢印は、情報化社会によってより、容易となりました。
つまり、2で必要な勉強の出来高等、個人の力量に左右されることを除けば、お金さえ在れば、汎ゆることが実現しやすく、それだけ幸福になれる機会が多くなる。
なぜなら、願望が事実(実感)へと昇華したときに幸福感を味わうことができるからである。幸せを感じ得るケースの内、どれだけ幸せを感じられるかを突き詰めた時、”お金を持っていること”が最大公約数となり、人生を楽しむ上で欠かせないことだと、私は考えています。
逆説として、願望が達成できないと実感したときに不幸感に似た感覚を味わう。
例によって、主観→客観を経てでないと、客観→主観’に移行することができません。
ですから、相対的に幸福感を味わう回数が減り、主観→客観の過程で不交換を味わう回数が増えます。
グローバル化というお金を生む畑の肥大化、情報という見えないものの価値化を経て想わぬことでお金を稼ぐことが可能になった昨今、汎ゆることが様々なサービスを通し、お金を払うことで容易に進めることができる。手数料を払う事で様々な航空会社のチケットを比較して購入できたり、口座をネットで管理しダイレクトバンキング等、枚挙に暇がありません。
凡百のそれと同様の変哲もない理由です。
はじめに
お初にお目に掛かります、石部金吉と申します。
貴様を何方と心得よう。ということで、当ブログを開設するに至った理由についてバックグラウンドにも触れて、つらつらかいていこうと思います。
まず、2016年の3月に、就職・進学、双方どちらにも当て嵌まる事なく、高校を卒業しました。その後、4月から半年間、英語を勉強するために語学留学をし、帰国後、海外大学進学を目指し、自宅でTOEFL、一般教養を同時並行で勉強しています。そのため、家の中で過ごす時間が、一日の大半を占めています。読書やネットサーフィンをして情報に触れる機会が格段に増え、深く会得するための場が必要になったことが理由の一つとしてあります。
そして、私が歩んできた道や、これから進む道というのは、稀有なものであると自負しているため、それをブログに自己啓発のように記事にするのも面白いなと思ったのが二つ目の理由です。
当ブログは同年代の若者たちへ書こうと思っています。というのも、私は苦楽をともにした大半の友人たちとは別の生き方をして、そしてこちらから見た、在るテーマの世界観を文字に昇華したとき、同年代の若者は何を思うのかを知り、この場を媒体に触発し合えたらこの上なく有益であると考えているからです。
初めての投稿ということで、駄文に加え、煩雑な内容とはなってしまいましたが、よろしくお願いします。