言の刃の園

金を使って極楽ならば 欲が地獄の道案内

幸せに対する観念×夢×当ブログのタイトル

当タイトルの着想を得たのは数学の参考書です。

 

他の書とは一線を画す洗練されたデザイン、初見にして一目惚れし、ネットで書評を漁り買い揃えたのはちょうど一年前のことです。

 

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 閑話休題、其れだけが理由ではなく、確たる所以があります。

私の夢である富豪になること、に於いて重要な事を投映しているのが当タイトルになります。

 

 

 齢19の人生観を綴らせて頂きます。

 

 「お金だけが全てじゃない」”幸せ”が話題に上がると必ずお金の話に直結するでしょう。お金よりも大切なモノ、コトがあるというニュアンスで用いられることが、しばしばあります。

しかし、学歴にコンプレックスのある社会人が「勉強や学歴は役に立たない」と口をそろえて言うように、持たない能力を疎んでいる聞こえます。

 

 

 私の中では、人生において最も重要な感覚の一つとして、自由であることが挙げられる。これは客観と主観に分別でる。そしてそれらは、このように互いに作用しあっています。

 

例えば、

1;世界一周したい(主観)→ 世界一周した(客観)

    世界一周した(客観) → もう一度アメリカへ行きたい(主観’)

 

2;大きい会社で働きたい(主観)条件;偏差値の高い大学を卒業 →大きい会社へ就職した(客観)

 良い所得を得た(客観)→マンションを運営しよう(主観);お金を費用とする様々なこと

 

 主観→客観 この例示した2つの移ろいは今も昔も、お金を必要とします。そして、主観→客観を経なければ、客観→主観’へと移ろうことはありません。

そして現代、それらを媒介とする矢印は、情報化社会によってより、容易となりました。

 つまり、2で必要な勉強の出来高等、個人の力量に左右されることを除けば、お金さえ在れば、汎ゆることが実現しやすく、それだけ幸福になれる機会が多くなる。

 

 なぜなら、願望が事実(実感)へと昇華したときに幸福感を味わうことができるからである。幸せを感じ得るケースの内、どれだけ幸せを感じられるかを突き詰めた時、”お金を持っていること”が最大公約数となり、人生を楽しむ上で欠かせないことだと、私は考えています。

 

 逆説として、願望が達成できないと実感したときに不幸感に似た感覚を味わう。

例によって、主観→客観を経てでないと、客観→主観’に移行することができません。

ですから、相対的に幸福感を味わう回数が減り、主観→客観の過程で不交換を味わう回数が増えます。

 

 グローバル化というお金を生む畑の肥大化、情報という見えないものの価値化を経て想わぬことでお金を稼ぐことが可能になった昨今、汎ゆることが様々なサービスを通し、お金を払うことで容易に進めることができる。手数料を払う事で様々な航空会社のチケットを比較して購入できたり、口座をネットで管理しダイレクトバンキング等、枚挙に暇がありません。

 

 凡百のそれと同様の変哲もない理由です。